昭和45年 | 青山学院大学 理工学部 経営工学科卒 |
昭和46年 | マッキャン・エリクソン博報堂入社 媒体局勤務 |
昭和54年 | 在職中 米国ミシガン州立大留学 |
昭和55年 | 州立大中退し、マッキャン・エリクソンLA支社勤務 |
昭和55年 | 帰国後、営業局に移り日本コカコーラ担当営業配属 |
昭和56年 | 退社し、神戸六甲牧場にて研修(アイスクリーム製造) |
昭和57年 | 東商貿易を設立 |
昭和60年 | クリスアンティークス箱根仙石原に開業、 催事「ザ・美術骨董ショー」に参画 |
昭和61年 | ビデオレンタル テンツーテンを隣に開業 |
昭和63年 | 社名を 潟Jルチャークラブ とし法人化 |
平成 3年 | 東京オークションハウス(麻布十番)設立に参画のため仙石原を引払 |
平成 4年 | アンティーク・スクウェアを青山に開店 同時期 アートロード というネットオークションサイト立上げ |
平成 6年 | 社名を 日本アープラン に変更 所在地 六本木4丁目に移転 |
平成 7年 | 中国 上海市にて「里帰り中国美術品拍賣会」を開催 |
平成 8年 | 美術品の鑑定業務(日本全国)が始まる |
平成10年 | 財団法人「頌古会」の真のオーナーと「横浜オークション」立上げに参画 |
平成11年 | 財団法人頌古会の無料鑑定相談をネット上で立上げに参画 |
平成12年 | 海外政府より依頼で美術品鑑定のため訪問 漢方薬のミミズ粉末を受領 |
平成13年 | 再訪問 発掘「三星堆」作品の撮影 |
平成15年 | 「ブラッドサプリ」を製品化し、DM販売を開始 |
平成22年 | 港区より御殿場に移転 |
長い人生を顧みて、ハチャメチャな人生を送って来たなと実感。 初めは普通のサラリーマン生活であったが退社してから、徐々に美術関係の道へ進んで行った気がする。 初めの出会いはザ・美術骨董ショーの代表の市河氏だ。25年間一緒にこのショーの成功のため協力した。 彼とは最後に気まずい思いの別れ方であったが、いま思えば壮年期の良い想い出だ。
次は六本木4丁目の中島氏だ。 私が台湾へ鑑定の旅に出掛け思わぬ遭遇があり、そのビデオを見せ再度台湾へ出張する元を作ったのが彼だった。 美術関係の旅は英国、ドイツ、イタリア、オランダ、デンマーク、米国、中国など様々な国々に出掛けたが、 台湾はそれらの中で一番近い国だが驚くべき国であった。 台北の故宮博物院には何回も出掛けた。 また米国、カナダ、メキシコなどにもよく出掛けたが本当に様々な人々と出会った。
海外で印象深く思い出されるのが安東氏だ。 彼は私と出会う前にクモ膜下内出血で倒れたらしいのです。 しかし顔を合わせお互い自己紹介して約1週間近く一緒に国中をドライブし語りあったが、 彼にそのことを告白されるまで全く気が付きませんでした。 (私の従兄弟で隆さんという人が居ました。 彼は自宅の風呂でクモ膜下内出血で倒れ、植物人間になり約20年近く病院に居た。 親族も入院費用の遣り繰りに苦労していたが亡くなってホッとしたのではないだろうか?) その安東氏が別れ際に中国漢方薬のミミズ粉末をくれたのです。 彼曰く、この粉で私は全快したのです。 私の母がその前々年に脳血栓で倒れ亡くなったことを知り、私を心配してくれて別れ際に渡してくれたのです。
その後しばらく頂いたミミズ粉末を飲むでもなく、脳血栓のDNAが私にも遺伝しているだろうという予測のもとにネットでいろいろ調べていたところ、 宮崎医科大の美原恒博士の存在を知りました。 既に本の出版もされていて、買って読むことにしたのです。 すると先生の研究では単なる日本や中国に存在しているミミズではなく、 血栓を溶かすミミズは欧米原産の赤ミミズであることが判明したのです。 ネットで調べてみるとこの健康食品は非常に高額であることを知り一時断念せざるを得ませんでした。
人生には人との出会いで面白いことが起こります。忘れていた赤ミミズとの再会があったのです。 李さんという韓国系米国人と美術関係で接触し、たまたま精力剤としてのオットセイの睾丸の話から赤ミミズの粉末の話に移り、 彼の紹介で赤ミミズの粉末を入手することが可能になりました。それが『ブラッドサプリ』の誕生です。
いま大事にしている私のコレクションは安東氏と某国を走り回った先の一軒のお金持ちのお宅の収集品です。 残念ながらその当時高額資金の持ち合わせが無く、資金を融通してくれたのが中島氏です。 彼曰く、早くこの金を持ってこれ!と思う作品を手に入れたほうがいいと助言してくれたのです。 面白いですね。人生とはこんなものです。 ご覧頂く「私のコレクション」に掲載した作品はその時収集したものです。 発掘品なので日本の発掘作業などを行っている民間会社パリノサーベイ日本橋に依頼し放射線炭素法や赤外線放射撮影や一部削り石の組成分析など結構な額の検査を実施しました。 分析結果は間違いありませんでした。 この主任分析官を行った方が辻本学芸員で何とその当時(1986年前後)文部省からの要請で中国四川省の三星堆発掘現場へ行って発掘調査に協力したと言っていました。 彼はまさか東京でこのような貴重な物を分析するとは思いもよらないことだと驚いていました。 人生とは本当におかしな事が起こるのですね。私も驚きでした。
日本アープラン株式会社
代表者 菊田 耀平
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